兵庫県龍野市立揖西西小学校「体罰」自殺事件

兵庫県龍野市(現・たつの市)の小学校で1994年、6年の男子児童が担任教諭から「体罰」を受けた直後に自殺した事件。自殺は「体罰」が原因だと認定された。

事件の概要

兵庫県龍野市(現・たつの市)の市立揖西西(いっさいにし)小学校で1994年9月9日の放課後、当時6年生だった男子児童が担任の男性教諭に対して、運動会のポスター制作について質問した。しかし教諭は「何回同じこと言わすねん」などと児童を怒鳴りつけ、同級生の面前で児童の頭とほおを手で数回たたいた。

児童はその直後に行方不明になった。児童を捜していた祖父が同日夜8時頃、自宅の裏山で首をつって自殺していた児童を発見した。検視では死亡推定時刻は同日午後4時頃とされた。

担任教諭は、行方不明の一報を受けた際、児童への「体罰」の事実を家族に話し、また「児童が行方不明になったのは『体罰』のせいかもしれない」と話した。また児童が自殺しているところを発見された直後、担任教諭は児童の自宅に駆けつけ、呆然とした様子で「全て私の責任です」などと話して自宅前に力無く座り込んだ。その様子を不審に思った警察が担任教諭に事情を聴き、担任教諭は「『体罰』が自殺の原因として思い当たる」などと話した。また校長は自殺の報を受けて児童の自宅を訪問し「私は教育者失格だ」などと話した。

担任教諭は教育系の大学を卒業後、1976年4月より兵庫県の小学校教員となり、事件当時18年目だった。揖西西小学校には1992年度に赴任し、1993年度の5年生・1994年度の6年生と2年連続で児童の担任を務めていた。この教諭については、児童の間では「えこひいきしない」「教え方がていねい」という評価があった一方、機嫌の悪いときはよく怒る・しばしば児童をたたくなどとも指摘されていたという。

事件揉み消し策動

事件直後に「体罰」と自殺との因果関係を認めるような言動をとった担任教諭や校長の対応は、数日すると一転した。学校側は、教諭の「体罰」と自殺の因果関係について認めず、「自殺を管理外の事故死」としたり、自殺の原因は家庭的問題との誤解を与えかねない言動をとったなど、遺族に対して心ない対応をとり続けた。事件当日の担任教諭や校長の言動は「なかったこと」にされようとした。

また、学校や地域の諸団体が一緒になって、遺族や真相解明を求めた住民に圧力をかけた。この児童の両親が同じ地域の公立中学校教諭だったことで、教育委員会の上層部から両親に対して「真相解明を図れば職務上でも不利益になる」ととれるような発言もあったという。

その後の経過

兵庫県警龍野署は1994年12月、担任教諭を書類送検した。担任教諭は1995年3月、暴行罪で龍野簡裁に略式起訴され、教諭は罰金10万円の略式命令を受けて罰金を納付している。

自殺した児童の遺族は1996年12月、神戸弁護士会に人権侵犯救済申立をおこなった。神戸弁護士会は1998年3月、加害教諭の行為を重大な人権侵犯行為として、担任教諭と当時の校長に警告、龍野市教委に勧告をおこなった。

遺族が龍野市を相手取って起こした訴訟では、神戸地裁姫路支部は2000年1月31日、担任教諭の「体罰」と児童の自殺との因果関係を認め、また学校側の事後対応の不適切さも認め、龍野市に約3790万円の支払いを命じた。龍野市は控訴を断念し、判決が確定した。

龍野市は、学校事故の際の共済事務をおこなう「日本体育・学校健康センター」に対して、遺族に無断で遺族見舞金を申請し、市の口座に見舞金を振り込ませていたことも分かった。その後龍野市は見舞金をセンターに返還している。

龍野市は事件について「学校の管理外での事故死だった」とする報告書をまとめていたが、「体罰」が自殺の原因と認定した判決が出てからも訂正していなかった。しかし2013年になり、たつの市(龍野市などが合併し2005年に発足)は「体罰」が原因として報告書を訂正したと遺族側に通知し謝罪した。


「体罰」に関する主な事例

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