大阪市の中学校給食

中学校給食の導入まで

 全国的には中学校給食の実施率が7割前後になっていたもと、大阪市では1970年代以降、同和問題との関連で自校調理方式の中学校給食を導入していた一部の中学校を除き、中学校給食の実現には背を向け続けてきた。

 大阪市議会では、一貫して中学校給食導入を掲げていた共産党を除き、多くの会派が中学校給食導入には消極的だった。とりわけ、後に大阪維新の会に移った議員は「愛情弁当論」を唱えて、一番強硬に中学校給食に反対してきた。

2007年12月26日 文教経済常任委員会 辻淳子議員(当時自民党、現大阪維新の会)
私はどちらかというと愛情弁当の、今、こんだけ親と子の関係が希薄になってる時代、中学校の3年間、お弁当をつくってあげるということも親としては大変な、子供との関係をやっていくわけで大切な部分ではないかなというふうな考えで質問させていただいてるんです。

2008年3月4日 本会議 東貴之議員(当時自民党、現大阪維新の会)
我が会派も、愛情弁当を基本としつつも、弁当を持参できない生徒に対するセーフティーネットとしての施策が必要と考えており、従前から効率的で効果的な方法について議論してまいりました。

 不公正乱脈な同和行政が問題になると、逆差別解消のためとして、当時の関淳一大阪市長のもと、2007年に一度中学校給食を全廃する方針が出された。また学校給食未実施校への導入も断念した。

 2007年11月の大阪市長選挙で、中学校給食の実現を掲げた平松邦夫氏が当選し、同年12月に大阪市長に就任した。

 平松氏は中学校給食の導入を目指したが、当時大阪府知事だった橋下徹氏が大阪市への給食補助を拒否するなど困難があったもと、4年目の2011年に弁当方式での選択制中学校給食導入の予算をつけ、2012年度より実現することとなった。

 しかし2011年11月の大阪市長選挙で、平松市長は落選し、橋下徹氏が大阪市長になった。橋下氏は「中学校給食は自分の実績。平松氏は何もしなかった」とうそぶいた。

中学校給食は不評、橋下市政のもとで不満拡大

 2012年度に選択制の中学校給食が始まったが、選択率は10%前後と芳しくなかった。生徒からは「おかずが10度以下に冷やされていておいしくない」などの不満が出て、敬遠されたという。

 しかし橋下市長と大阪市教育委員会は、生徒から寄せられた不満や意見には耳を傾けず、「全員給食にすれば必然的に利用率100%になる」とばかりに、問題点を改善しないまま全員給食を導入することで見かけの利用率を上げる方策に出た。

 全員給食は2014年度の1年生から学年進行で段階的に導入することとし、また2014年度2・3年生でも条件のあるところでは全員給食を導入することとなった。

 このことで、生徒からの不満は高まった。食中毒防止のためにおかずが冷やされている問題に加えて、異物混入事件も相次いだ。また当初は、カレーライスについて、カレーのルーが、常温での喫食可能なレトルトパックとして出てきたこともあった(カレーについては、後に食缶方式に改められる)。

 橋下市長や大阪市教育委員会はそれでも、根本的な改善には手を付けず、「ご飯にふりかけをかければいい」だの、「家庭が薄味に慣れさせていないのも問題だから、家庭も協力してほしい」などと、本質とはかけ離れたごまかしを続けた。

 当然のことながら、ふりかけをかけても、冷蔵庫から出したての冷たいおかずが温まるわけではない。また、薄味のメニューといっても、冷やされすぎるとよほど濃い味付けではない限り生理的に味が感じられなくなる、学校給食の制約から濃い味付けはできないというジレンマもあり、家庭のせいにしてもどうしようもない面もある。

 野党会派「OSAKAみらい」の福田賢治市議の本会議質問(2015年2月27日)で、給食の視察の際「おっちゃん、これ給食と違うで、エサやで」と要望を聞いたという話を紹介すると、橋下市長は「エサ」の言葉尻に揚げ足を取り、「自分の子どもがエサなどと言ったら怒る」「飽食時代の象徴」「農家の人にどれだけ失礼なことなのか」「アフリカや北朝鮮の子供たちに比べ、感謝の気持ちを持たないとだめだ」などと話をすり替え、食育の問題かのように気色ばむ一幕もあった。

 大阪市会が夏休みに実施する、市内の小中学生を「こども議員」として模擬議会を開き、大阪市政への提案・意見を発表する「こども市会」(小学生市会と中学生市会を隔年で実施)で、2015年8月には中学生から中学校給食への批判・提案が強く出され、マスコミでも大きく取り上げられる羽目になった。橋下は、中学校給食の自校調理方式や親子調理方式の導入検討を口にすることになった。

スポンサードリンク
スポンサードリンク

シェアする

フォローする