2015年中学校歴史教科書:沖縄戦・「集団自決」の記述

 2015年度採択予定(2016年度以降4年間使用)中学校社会科歴史教科書での、沖縄戦「集団自決」の記述はどうなっているのか。

 2007年の高校教科書検定で、「集団自決」に軍の命令・強制があったことを示す記述が書き換えさせられる事件があってから、この問題では中学校・高校とも教科書検定での争点の一つともなっている。

 今回の教科書でも「追い込まれた」という記述にとどまり、直接「軍の命令・強制」を示すような表現を入れた教科書はなかった。

 一方で、学び舎・清水書院・帝国書院が、当時「捕虜になるくらいなら自決せよ」と宣伝・教育されていたことや手榴弾を配布されたことに触れるなど、行間から軍命・強制を浮かび上がらせようと工夫している記述をおこなっている。

学び舎(249ページ)
 住民は、壕やガマ(洞窟)に潜んで戦火を避けていました。日本軍がいたガマでは、食料を出させられ、赤ん坊は外に連れ出すように命じられました。米軍は、降伏してガマから出るよう呼びかけましたが、日本兵がガマの出口で銃を構えていました。

 住民は日ごろから、捕虜になるなら帝国臣民として死を選べ、米軍は鬼畜だから捕まったら残虐な目にあうと教えられていたので、ガマから出て行くことをためらいました。ガマから出て保護される人もいましたが、米軍に攻撃されて死亡する人や玉砕する人もいました。

 日本軍は、最後には玉砕を決意して、住民にも手榴弾を配りました。住民がこの手榴弾を爆発させ、家族や近所の人たちといっしょに自決した例が数多くあります。

 座間味島では、自決したとされる135人(年齢などがわかる人たち)のうち、12歳以下の子どもが55人、女性が57人を占めていました。これらは「集団自決」と呼ばれています。また、住民が日本軍に殺害される事件も起こりました。その多くは、日本軍の情報を米軍に漏らしたのではないか、という疑いによるものでした。

清水書院(243ページ)
 それまで軍部や役所、民間機関が一体となった戦時体制のもとで、「捕虜になって悲惨な目にあうよりは自決せよ」と宣伝されてきた。こうした教育を受けてきた住民の中には、他にすべもなく、兵士や役人などから配布された手榴弾などを用いて、家族を殺して一家自決をしたり、地域でまとまった集団自決へと追い込まれていった人もおおぜいいた。

帝国書院(231ページ)
 6月後半、日本軍司令官は自害し、日本軍の組織的な抵抗は終わりましたが、「最後の一兵まで戦え」という命令は残っていたために住民と兵士の犠牲は増え続けました。人々が集団死に追い込まれたり、禁止されていた琉球方言を使用した住民が日本兵に殺害されたりすることもありました。また八重山列島などでは、マラリア発生地にも移住させられたため、多くの病死者がでました。

 なお、学び舎では、沖縄戦の記述を見開き2ページとし、沖縄から九州に向かっていた学童疎開船が米軍の攻撃を受けて沈没し多数の犠牲を出した「対馬丸事件」や、沖縄戦での戦闘が「鉄の暴風」と形容されていることについても触れられている。

 また清水書院でも見開き2ページで沖縄戦の内容を記載し、「集団自決」を体験して生き残った人の証言も掲載している。

 他社教科書でも「追い込まれた」という表現ながらも、「集団自決」について触れている。

東京書籍(229ページ)
 民間人を巻き込む激しい戦闘によって、沖縄県民の犠牲者は、当時の沖縄県の人口のおよそ4分の1に当たる12万人以上になりました。その中には、日本軍によって集団自決に追い込まれた住民もいました。

教育出版(228ページ)
 アメリカ軍の攻撃が続く中、日本軍によって、集団で「自決」に追い込まれた人々もいました。

日本文教出版(235ページ)
 沖縄戦により、県民のおよそ4分の1にあたる12万人以上の人が命を落としました。その中には、日本軍によって「集団自決」に追い込まれたり、スパイと疑われて殺害された人もありました。

 一方で、やはりというか、極右教科書の2社は、特異な記述をとっている。

 育鵬社は「戦闘が激しくなる中で逃げ場を失い、集団自決に追い込まれた人々もいました」と、「集団自決」の原因をあいまいにするような記述をおこなっていた。

 自由社に至っては「集団自決」には触れず、「この戦いで沖縄県民にも多数の犠牲が出た。日本軍はよく戦い、沖縄住民もよく協力した」(244ページ)と、一体何なんだと思えるような記述である。住民被害をあいまいにしてナショナリズムを煽ろうとするような書き方、中学生に与える悪影響が強く懸念される。