「期待される人間像」中間答申から50年

 神奈川新聞2015年1月11日付が「【照明灯】期待される人間像」を掲載している。

 中央教育審議会が1965年1月11日に「期待される人間像」の中間素案を出してから50年になるのを機に、国の道徳教育の問題点を指摘している。

 「期待される人間像」は国家主義的統制になるという大きな批判を受けて、最終答申は別記扱いされたものの、答申で示された「愛国心」や「天皇への敬愛」などが後年の学習指導要領改訂で盛り込まれたと指摘している。

 また、第一次安倍内閣が2006年の教育基本法改定で「愛国心」を盛り込んだこと、第二次安倍内閣が道徳の教科化を答申していることを指摘していることに触れ、「国定教科書を使った戦前の修身をどうしても想起する」「国が個人の内面に入り込み、がんじがらめにすることの恐ろしさを決して、忘れてはならない」「そもそも、あるべき人間像を上から目線で国から示されるなんて、余計なお世話」と厳しく批判している。

 記事の論旨は、全くそのとおりだと感じる。「愛国心」や「道徳」といっても、政権にとって都合の良い特定のモデルが先にあり、それをどれだけ押し付けるかが、この間の政府筋からの動きとなっている。安倍内閣になって、この動きが強まっている。

 道徳は特定の解答モデルが先にあるものではなく、自然や社会の客観的事実から得られた人類の知恵を基礎にしながら、児童・生徒一人ひとりが自主的に考える力を身につけることで、新たな像を発展させていくようなものである。政権にとって、または特定の誰かにとって都合が良いもの、特定の誰かに無条件に従わせるようなものを押し付けるようなものではない。

 道徳教育の教科化をめぐるきな臭い動きが強まっているもと、2015年は道徳教育の問題についても、また教育の各課題全般についても、正念場になってくるのではないだろうか。