大阪府立高校図書館司書問題:橋下氏が反論

 2009年に大阪府立高校の学校図書館の専任司書が廃止され、約2割の学校で図書館が開館できなくなっている問題が報じられている。

 このことについては大阪府の監査委員も問題視し、学校図書館法では2015年度以降学校図書館司書の設置が努力義務になることをあげ、改善を求めている。

 一方で、専任司書制度を廃止した当時の大阪府知事で、現在は大阪市長となっている橋下徹氏は、問題を報じた2014年9月22日付の新聞報道を受け、「図書館ショシ(司書の言い間違い?会見では終始、司書を“ショシ”と表現)がいなくても、8割の高校では学校図書館をちゃんと運営している」「高校にもなってショシを置くのは疑問。ショシよりも英語教育などに力を入れるべき」「高校にもなれば、図書館の鍵を開けておいて、生徒に本を管理させればいいんですよ」などと発言し、問題はないとした。

 この人物の反知性主義的な対応や、不都合な指摘にはすり替えでの言い訳と強弁で居直ろうという姿勢は、いつものことであり、それ自体は特に驚かない。

 8割の学校でも、校務分掌で図書館係となった教員を中心に、通常の授業や学級担任などと兼務しながら、何とか開館できているのは事実だろう。しかしそのことを言っても、専任司書の廃止で現場負担が重くなっているということを否定できるものではない。また「2割」のほうの高校に通う生徒にとっては、図書館の利用ができないことになる。専任司書を復活すればすべての学校で図書館運営体制が強化できるのではないか。

 図書館自体が一般的にも教育施設であり、学校図書館も例外ではない。司書はただの貸出窓口の受付係ではない。蔵書の管理・整理・発注、書籍の紹介、レファレンス業務(利用者の調べ物に対するアドバイス・補助)など、それぞれの分野だけでも専門性が高い専門職でもある。

橋下氏の発言は、図書館の意義を根本から否定するものとなっている。図書館は単に本を借りさせておけばいい・素人でも業務はできると言わんばかりの、このような勘違いは、とんでもない話である。

 また図書館司書を英語教育と並べて「重要性が低い」かのように印象付けるのは、英語教育の意義自体は否定するものではないが、橋下氏は以前には「英語をしゃべれればいい」かのような短絡的な見解を出していたものであり、反知性主義的な短絡的発想と言わざるをえないだろう。