大阪市立の特別支援学校を府に移管する条例案提出:大阪市長

 大阪市会が9月9日に開会し、橋下徹大阪市長は大阪市立の特別支援学校12校(開校予定の2校含む)全校を大阪府に移管する条例改正案を提出した。(議案第282号 大阪市立学校設置条例の一部を改正する条例案)

 条例案では、移管(市立としての廃止)の実施時期は、市長が別途定めるとしている。

 橋下徹大阪市長や同氏が率いる「大阪維新の会」が進める「大阪都構想」では、高校や特別支援学校が府立・大阪市立の双方あることが「二重行政」と槍玉に挙げられていた。大阪市立の高校・特別支援学校の府立移管構想がかねてから打ち出されていて、条例案提出の形で具体化したことになる。

 しかし高校や特別支援学校の設置者が大阪府・大阪市に分かれているのは「二重行政」にはあたらない。通学区域の設定や入学者募集などでは、府・市の教育委員会が調整などをおこなってきて、これまで特に不都合はみられなかったものである。

 また大阪市では、明治時代の近代学校教育制度成立以来、特別支援教育に取り組んできた長い歴史がある。

 聴覚障害教育・視覚障害教育については、実業家・五代五兵衛(1849-1913)の手によって1900年に大阪聾唖院が私費で設置された。初代校長には日本の盲教育・聾教育の祖とされる古河太四郎(1845-1907)を招聘している。その後同校は1907年に大阪市に移管し、さらに1923年に盲学校と聾学校を分離した。聾学校では1930年代当時、全国的には唇の動きを読み取る口話法での指導が主流となっていく中、手話での教育を中心に据え、日本における手話発展の基礎ともなった。

 また知的障害児教育についても、大正時代から昭和戦前期における知的障害児の研究を踏まえ、1940年に日本初の知的障害児対象の学校として大阪市立思斉学校(現・思斉特別支援学校)が設置された。

 大阪の歴史という意味にとどまらず、日本教育史の象徴と言ってもいいような歴史を踏まえた学校を、「二重行政」なる筋の通らない言いがかりで、また現場の関係者も望んでいないのに、移管させるような理由は全く当たらないのではないか。