道徳教育に「検定教科書」って…

 『読売新聞』(web版)2007年5月25日配信記事によると、政府の教育再生会議で、道徳の検定教科書を作成して道徳教育を強化する提言を打ち出す方向でまとまったということです。

 教育学の視点からは「道徳教育に検定教科書」など、あまりにもばかばかしすぎて唖然とするような主張です。どこかの井戸端会議や酒飲み話のネタならばともかく、仮にも教育に関する有識者が集まっている政府の教育再生会議で大まじめに提起するような内容ではありません。
 道徳はある物事に対してどう感じるかなどの価値判断を伴うものであり、客観的事実や学問的真理に基づいて構成される他教科とは全く異なります。道徳は一人一人が自主的・自律的に内面化して、社会的にふさわしい行動を自ら判断していく力を育成するようにしていかなければなりません。すなわち道徳教育の具体的な進め方については、子どもたちの自主性を最大限発揮させ、子どもたちが自ら考えていくようにすることが一番重要になります。
 特定の価値観や考え方を一方的に注入するというやり方は、時代遅れの道徳教育です。
 検定教科書をつくるとなると、特定の考え方に沿った道徳像をモデルにしなければ作れません。ということは、何らかの形で、望ましい道徳像モデルが上から作られて子どもたちに押しつけられることにつながります。
 また教科書検定では、歴史教科書問題をはじめ、社会科公民的分野での社会問題の扱いや家庭科での家族の扱いなど意見が大きく分かれる問題について、特定の考え方を押しつけるような方向での教科書の修正を求められたという経緯もあります。性教育の問題でも、特定の勢力と行政が一緒になって性教育そのものを否定する立場から教材に干渉したというケースもありました。
 このような流れを踏まえると、道徳教育の検定教科書では、政府や特定勢力にとって気に入った見解を一方的に子どもたちに押しつけられるという危険性も極めて高くなります。これでは正しい意味での道徳教育とはいえません。