「体罰」範囲見直し、暴力正当化にお墨付きの危険性も

 文部科学省は「体罰」の範囲を見直す通知を出す方針を固めたということです。一応「体罰」は禁止としているものの、個別の行為について「体罰」かどうかは「受けた側の主観ではなく個別に判断」とし、「軽くたたくことは『体罰』には当たらない」などとした判例も例示するということです。
 しかしこの措置は、今でも「体罰」・対生徒暴力を正当化する教師がのさばる中、そういった「体罰」教師もとい暴行魔に文部科学省としてお墨付きを与える、きわめて反時代的で危険な措置だと感じます。

 「指導」を自称しながら、直接手を出さなければいいとばかりに、児童・生徒いじめといってもいいような暴言や嫌がらせを加えて、児童・生徒を不登校や精神疾患に追い込んだ教師の例も、日本にはたくさんあります。文部科学省の見解では、このようないじめ教師が正当化される危険性をはらんだものです。
 また「軽くたたくことは容認される」とした判例ですが、教育学者の間では「時代錯誤の不当判決」という見方が主流です。
 その上、「体罰」と称して激しい暴行を加えて大けがをさせても、正当な指導と強弁するような教師も多くいます。またそういった暴力教師に対し、「教師は絶対的に正しい」という一方的思いこみのもとで、生徒を殺そうが瀕死の重傷を負わせようが「教師は正しい。おかしな生徒や保護者のために教師はややこしいことに巻き込まれた」といわんばかりに被害者攻撃をおこなう、悪意を持った者も湧いて現れます。
 極端な例だと、1995年7月に福岡県飯塚市の近畿大学附属女子高校(現・近畿大学附属福岡高校)で発生した「体罰」死亡事件では、実態は加害者教師が激高して一方的に被害生徒を殴ったにもかかわらず、加害者教師を擁護しまるで被害生徒が一方的に悪いかのような激しい嫌がらせが遺族や関係者におこなわれたという例があります。
 一方的で激しい暴行を加えても「正当」だと強弁して無反省な教師がただでさえのさばっているもと、文部科学省として「軽く」を容認することは、大けがをさせても「軽くたたいた」「正当な指導」などと強弁する「体罰」教師の行為を正当化させるだけです。
 文部科学省の今回の通知では、児童・生徒は暴力の恐怖にさらされることになりますし、また良心的な教師にとってもまともな教育実践をする条件が狭まります。
 「体罰」定義の見直しをするのならば、文部科学省の見直し方向とは逆に、児童・生徒に不当な苦痛を与える行為や、暴力行為はすべて禁止すべきなのです。またそもそも、感情的な暴行でも「正当な指導」と強弁して暴力を正当化する教師もいることから、「体罰」と暴力との間の区切りは難しく、「体罰」は「対児童暴力・対生徒暴力」と同義と定義づけるべきです。
 警察官や刑務官などには特別公務員暴行凌虐罪があり、職務上の暴力には通常の暴力と比較して厳しい措置がとられます。教員の暴力や「体罰」についても一種の「権力犯罪」として、特別公務員暴行凌虐罪に準じる法律を整備して、「体罰」・暴力教師には通常の暴力事件よりも厳しく対応することも必要だと考えられます。