デマをもとに子どもの権利を敵視する産経新聞

 産経新聞が、子どもの権利を敵視するような記事を出している。2014年1月26日付『【主張】子供の権利 甘やかさない教育必要だ』。

 全国各地で子どもの権利に関する条例が検討されていることに対して、敵意むき出しで強く批判している。

 「子どもの権利条約」が1994年に批准されてから、権利を履き違えた風潮が広まったかのように攻撃している。しかも子どもの権利条約について、「国連条約の本来の目的は、子供を飢えや病気、虐待などから保護することだ。しかし、自治体の条例では、子供の「意見表明権」といったものまで加わり、権利をはき違えたわがままを許す風潮が問題になってきた。」と、使い古されたデマを蒸し返して攻撃している。

 子どもの権利条約の目的を「貧困国での飢えや虐待」だけに矮小化すること自体が間違いだし、しかも子どもの「意見表明権」を露骨に目の敵にするという二重の誤りも犯している。

 子どもの意見表明が、そんなに都合が悪いのだろうか。都合が悪いというのなら、大人が子どもを言いなりにさせるのが「教育」という、非常に貧困な教育観でしかない。

 ほかにもデマが。産経は「国連の委員会の場で日本の高校生が、制服を義務づける校則に反対して「意見表明権」を持ち出し、海外の委員から「制服もない国の子に比べ幸せ」などとたしなめられた例もある。」と記述している。

 しかしこれは使い古されたデマであり、都市伝説である。1998年に高校生が国連委員会で制服に関して訴えたのは事実だが、一部マスコミが「高校生の発言が、国連委員からたしなめられた」と捏造し、それが広まったものである。

 2002年12月10日付の『読売新聞』が、このデマの背景について記述している。

子どもシェルター <30> ◇ いわれなき「高校生バッシング」 ◇
 国連子どもの権利委員会が九八年六月に採択した、日本での「子どもの権利条約」の履行状況についての最終所見は、非常に厳しいものだった。
 所見は、婚外子への児童手当支給の平等化など三項目を「歓迎」する一方で、条約についての広報やNGOとの協力の不十分さ、子どもの意見表明権が保障されていないなど二十二項目の「懸念」を表明、独立した実施監視機構の設置など二十二項目の「勧告」を日本政府に突きつけた。
 しかし、政府や社会がこれを真剣に受け止めたとは言いにくい。象徴的な例が、一部マスメディアによる「高校生バッシング」だ。ジュネーブでの意見発表の後、「制服の廃止を訴えた高校生は、国連委員に『貧しくて制服も買えない子どもに比べ、君たちは格段に幸せ』とたしなめられた」などの冷ややかな報道が相次いだ。
 DCI(子どもの権利のための国連NGO)日本支部の福田雅章代表(一橋大学名誉教授)は「当日の録画ビデオでも、委員からそんな発言はなく、記事はねつ造。背後には『豊かな国にいて何の不満があるのか、この甘ったれ』という高圧的な子ども観がある」と話す。事実、何人かの子どもたちは、発言がもとで周囲の大人から非難された。
 委員の実際のコメントは「国際社会の面前で発言できたのだから、君たちは幸せ」「私たちが皆さんの発言によって変わったように、皆さんの周囲も変わる」だったという。日本の審査で議長を務めたカープ委員も同年十二月に来日した際、発言を改めて称賛し、「心ないメディアが彼らをおとしめた」ことに憤りを表明した。
(読売新聞 2002年12月10日)

 1998年の年末に、審査に携わった国連委員が報道を否定している。また発言を検証しても、どこにも報道のような発言は認められなかった。「たしなめられた」はデマだと確定している。

 産経新聞は2009年2月23日にも「子供の権利 わがまま許す条例は疑問」と題して、このデマを事実のように扱い、同じような論調で子どもの権利を軽視する記事を出したが、同じネタを蒸し返すのは暴挙といっていい。

 「子どもの権利を軽視したい」という悪意を持った思惑が先にあり、その思惑を実現しようとするためには捏造も平気というようなのは、子ども観という意味だけにとどまらず、人間性そのものが疑われるべきものである。

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