入試中止反対がそのまま「体罰」容認ではない

 産経新聞ウェブ版に『「誰が仕組んだのかしら?」尾木ママのブログに女子生徒が反論』(2013年1月24日)が配信されている。

 大阪市立桜宮高校「体罰」自殺事件を口実に同校体育科の募集中止が決定された問題。その決定をおかしいとして1月21日に同校の生徒が記者会見したことについて、教育評論家・尾木直樹氏が「誰が仕組んだのかしら? 何か変すぎ」など否定的な見解をブログやテレビ出演で繰り返し述べた。そのことについて同校の生徒が疑問を呈しているという内容である。

 教師や指導者による児童・生徒への暴力事件、いわゆる「体罰」事件では、暴力加害者を全面的に擁護し、被害者を攻撃するような流れもよくみられる。マスコミでも「抗議」や嫌がらせの内容が時々報じられたり、また当方もこのようなサイトを運営している関係上、本人や近い人物・同じ学校の保護者や事件のあった学校の地域住民などを名乗ったりほのめかす人物から「抗議」を受けることがたまにあるが、いずれも似たようなパターンがみられる。

 「教え子」や保護者、部活動指導者仲間などを名乗り、暴力問題のことを棚に上げて、「指導は正当」「暴力は愛情」「先生は良い人」「被害者とされる人間は、逆恨みして教師や指導者を陥れ、学校や部活動に混乱を持ち込んだ。学校を守れ」などと言い立て被害者を攻撃するパターンもある。また加害者本人や近い立場と思われるような態度をとる人物が、自分にとって都合の良さそうに見える法律条文を我田引水的に抜き出したり、外部の団体(人権団体、宗教団体、マスコミなど)とのつながりをちらつかせたりする手法で脅してくるパターンもある。

 確かに今までの「体罰」事件や、さらにはいじめ事件・学校事故などの経験で考えれば、「学校を守れ」は「加害者の加害行為を守れ」の意味だったというパターンがほとんどである。

 しかし、先日の当ブログエントリ『桜宮高校入試中止問題で生徒らが記者会見して反論』でも少し書いたが、今回の事件は今までの事件にはなかったような事情があり、そういう一般論がそのまま当てはまるわけではない。

 橋下徹大阪市長はもともと「体罰」推進の側でその考えを変えていないにもかかわらず、もう一つの大きな持論である教育行政への介入を図るため、世論が事件を批判的に見ていることに乗じて「体罰」反対を装いながら、暴力の加害者も被害者も一緒にして学校そのものが悪い・学校関係者はみんな悪人かのような扱いをして、部活動停止・教職員総入れ替え・入試中止などの施策を打ち出したという事情がある。

 本来「体罰」問題と入試の問題は別個のものであるはずだが、橋下氏が強引に結びつけたため、入試中止などへの賛否がまるで「体罰」への賛否の判断基準かのようにすり替えられた。
 《本来は根っからの「体罰」容認・推進派である橋下氏が、「体罰」反対を打ち出して積極的対策をとっている。逆に本来の「体罰」反対派でも、入試中止に反対する者は「体罰」を容認して学校の改善を否定している》かのような、極めて短絡的な方向に話がねじ曲げられる雰囲気が、橋下氏によって作り出された形になった。

 「体罰」問題と入試の問題は切り分けて考えられなければならない。入試中止に対する賛否はあっても、入試中止に対する意見が「体罰」への賛否とそのまま結びついているととらえるのは早計である。「体罰」と入試を一緒にして「入試中止に反対する者は『体罰』容認」扱いするのは、結果的に「体罰」から目をそらせる形になって容認派を喜ばせてしまうだけではないだろうか。

 記者会見に応じた桜宮高校の生徒は、「体罰」は容認しない・また亡くなった生徒のことも考えていると明確にした上で、入試中止や教職員総入れ替えには反対するという立場を打ち出している。また生徒は誰かから指示されたわけではなく、自分たちから訴えたいと申し出たという。

 尾木氏はかねてから「体罰」否定の立場を打ち出し、また子どもの権利についても理解が厚いとみられる発言を繰り返してきた。しかし今回、子どもの権利について懐疑的ととられても仕方がないような発言をおこなったことは、非常に残念に思う。これは、橋下氏という存在で物事の本質が見えにくくさせられたという特別事情のもとでの、一過性のものであることを願いたい。