もみ消し・正当化工作ですか?:福岡いじめ自殺事件

 福岡県筑前町立三輪中学校でのいじめ自殺事件に関して、自殺した生徒の1年時の担任だった教諭(47)がいじめに関与していたことが明らかになりましたが、学校側の態度が事件もみ消し・正当化の主張に傾きつつあるようです。どうも、合谷智(ごうや・さとし)校長や加害教師(以下、本文中では仮にA教諭とする)の態度は、彼らの自己保身と、遺族への二次被害のように思えて仕方がありません。

 10月16日午後時点での新たな展開として、(1)学校側は、一度認めていた「A教諭のいじめと生徒の自殺との間に因果関係がある」という主張を撤回。(2)合谷校長が全校集会で生徒に事実関係を説明。しかし「事件を批判する世論が悪い」と受け取れる説明をおこなった。の大きな2点がありました。

教師のいじめと自殺には因果関係がある

 「A教諭のいじめと生徒の自殺との間に因果関係がある」という10月15日時点の主張を撤回し、因果関係を否定した根拠について合谷校長は、「遺族への説明の際は冷静さを欠いていた。情報が少なく、より多くの情報を集めて分析してみないと因果関係については分からない」(10月16日未明)、「いじめを否定しないが、誘因と考えている。裏付けられるデータが上がっていない」(10月16日午後)と説明を二転三転させています。
 合谷校長の発言は、説明を二転三転させながらも、因果関係を否定しようとする意図が時間を追うごとに強まっていることが読みとれます。
 しかし常識的に考えれば、「強い立場にある教師がいじめをおこなうのなら、教師がいじめのお墨付きを与えた形になり、生徒のいじめを誘発する」というのは、別に教育学や心理学の専門的な理論でも何でもなく、常識レベルの話です。A教諭のいじめが自殺の大きな要因のひとつになったことくらい、通常の判断力さえあれば容易に理解できることです。
 合谷校長は「裏付けられるデータがない」などと一見もっともらしいことをいって正当化を図っています。しかし「A教諭がいじめをおこなっていた」という事実そのものが「いじめを裏付けるデータ・自殺を誘発したひとつの要因を示すデータ」にほかなりません。それをすり替えて、主因と誘因の割合を論ずるという二の次の話を本質かのように持ち出して、あたかも教師に原因はないかのように描くのは、論理を撹乱させようという詭弁にすぎません。

悪いのは「マスコミ・インターネット」か?

 三輪中学校では10月16日に全校集会をおこない、合谷校長がこの間の経過について説明をおこなったということです。
 しかし、集会で合谷校長が話した内容については、耳を疑うものでした。
 日本テレビ系全国ネットのワイドショー番組『ザ・ワイド』2006年10月16日放送で流れた合谷校長の音声から、大要をテープ起こしして引用すると、校長は全校集会で生徒に向けて「マスコミやインターネット・新聞でいわれている三輪中学校ではないことを知っているのは君たちと我々です…」と発言しました。
 この一節を聞いて「ダメだこりゃ。学校側は事件を反省していないどころか、批判に逆恨みしている」とあきれかえりました。
 合谷校長の言い分は、いじめ問題だけではなく、「体罰」問題、人為的ミスの疑いの強い学校事故など、学校側の責任が強く問われる不祥事が発生した際、学校側がよく用いるもみ消し・自己正当化工作の典型例です。
 学校側の論理は、(1)「自分たちの気に入らない、もしくは自分たちにとって都合の悪い報道や批判がされている」ということを「学校への不当な攻撃」とすり替え、(2)「具体的にどこが間違っているか、どこが不正確か」という根拠をあげずに、報道内容を「嘘」と印象づける一方的な物言いで学校内の結束を固め、(3)事件の事実関係をあたかも「落ち度のある自称“被害者”が、マスコミや外部の批判者と結託して学校を攻撃している。こういうややこしい人に絡まれた学校側こそが真の被害者」という風にすり替える――という典型的な工作です。いわば、マスコミや批判者を「敵」に仕立て上げて、自らの落ち度をもみ消そうという工作なのです。
 今後、自殺した生徒やその遺族、生徒の支持者に対する不当な中傷が広められることも、今までの事件の例からも十分に予測できます。
 過去のいじめ自殺事件の例では、中傷の内容は「被害者に落ち度がある」という内容をはじめ、ひどいものになると故人や遺族の人格や、被害者の家族関係などに関して、悪い印象を与えるような事実無根の話をでっち上げて、根拠のない中傷をおこなうなどが報告されています。(余談ですが、当ブログにも、別のいじめ事件を取り上げた際、加害者側の視点から被害者を中傷した書き込みや抗議メールが寄せられたことが複数回あります。)
 今回の事件に関しても、自殺した生徒やその家族を不当に中傷し、二次被害を与えるような学校の態度は、本当にやめてほしいものです。
 同時に、本来なら遺族と共同して事実関係を徹底的に解明すべきはずの学校が、遺族に敵対しているという現状は、本来の学校の姿ではありません。教育委員会や第三者機関・善意の保護者や地域住民が、学校を正常化し、「遺族と共同して事実関係を解明していく」という自浄能力を発揮する学校へと生まれ変わらせる手助けをすることが、強く求められます。