滝川いじめ自殺隠蔽事件の続報

 北海道滝川市立江部乙小学校で2005年9月、当時6年生だった女子児童が教室で自殺を図ってその後死亡した事件に関して、滝川市教育委員会がいじめ自殺の事実を把握していながら隠蔽していた問題が、先日発覚しました。
 この問題に関しては大きく取り上げられ、新しい事実も次々と明らかになっています。

 『毎日新聞』2006年10月5日付朝刊によると、「事件発生翌日、遺族が滝川市教育委員会の部長と会った際に遺書を見てもらうよう頼んだが、部長は遺書に目を通すことを拒否した」とされる内容の記事が掲載されています。このやりとりについて、部長は事実関係について食い違った説明をしているということです。

 遺族側によると、女児が江部乙小で首をつった翌日にあたる昨年9月10日、男性は入院先の病院で辰巳部長(滝川市教委の教育部長-引用者)と2人だけで会った。男性が「遺書があるんです。見て下さい」と遺書を示すと「見たくない」と拒まれた。男性が「あなただって人の親じゃないんですか」と言うと、辰巳部長に「人の親だから言っているんだ」とどなられ、にらみ合いになったという。
 辰巳部長によると、男性からは首つりの数日後に遺書を示された。手持ちの筆記具がなく、自分一人で内容を理解できるか自信がなかったため、その場では見なかったという。辰巳部長は「(遺書を示されて)びっくりしたが、『見たくない』とは絶対に言っていない。その後のやりとりはよく覚えていない」と説明。「結果的にそのとき見てあげればよかった」と反省を口にしている。
(『毎日新聞』2006/10/5『北海道いじめ自殺:遺書拝読を拒否 滝川市教委の部長』より一部抜粋)

 遺族側は「見たくないとはっきりと拒まれたうえに怒鳴られた」と主張し、また部長は「遺書を示されたが、内容理解に自信がなかったため結果的にその場では見ていない」と言い分が食い違っています。しかし、部長の主張には無理があるという気がします。
 部長が遺書を見る気があれば、内容理解に自信がなかったとしても、理解をより確実にするために、その場で目を通した上で「コピーをください」と言えば済んだことではないかと思います。
 しかしこの部長の態度に加えて、すでに明らかになっている内容(市教委の記者会見の様子・校長が遺書の内容を転記しながら覚えていないとしたことなど)を総合的に勘案すると、組織的にいじめを隠そうとしたのではないかという疑いすら持ちます。
 報道を通じて批判の声が大きくあがったことからか、滝川市教育委員会は10月5日の教育委員会議で一転していじめを認める方向性に転じたということです。
 『asahi.com』(2006/10/5)によると、自殺の原因はいじめであると認めたことについて、市教委は「事実の把握を優先させ、子どもの立場になり考えることに欠けたことを反省している」とした。としています。しかし、「事実の把握」と「子どもの立場になり考えること」は決して対立する概念ではありません。あえて対立させる概念かのように描いたことは、「自己保身工作やもみ消し工作に先回りするのか」ということすら疑います。
 いじめの事実を一応認めたのは一歩前進ですが、内容の詳細を見ると、なんともすっきりしない、「とりあえず批判をかわすだけで、今までの行為を特に反省しているというわけではない」という悪意があるのではないかとすら感じる内容です。滝川市教委が自浄力を発揮し、誠意のある対応へ転じるかどうかについては、今後の展開を待つしかありません。