総選挙、維新「教育無償化」マニフェスト発表:実際には危険

 日本維新の会は9月30日、2017年10月22日投開票の次期総選挙に向けてのマニフェストを発表した。

 2016年参議院選挙に引き続いて「教育無償化」を掲げている。教育無償化という単語だけ聞けば、一見するとよいものかのようには見える。

 しかし維新の制度設計では極めて危険なものになり、まやかしであると言わざるをえない。

 維新の「教育無償化」は、憲法の改正とセットである。しかし憲法を改正しなければ教育無償化は不可能というわけではなく、立法措置によって無償化も含めた家庭の負担軽減策をとることは可能とされているものである。

 国レベルでは現行でも、義務教育教科書無償化や高校授業料無償化などの施策が実現している。また地方自治体レベルで独自に、給食や学用品への無償化などをおこなっているところもある。無償化や負担軽減は、議会や行政の構えによるところが大きい。

 一方で、議員の中にはこれまで、無償化や負担軽減に消極的だった動きはあったことも事実である。消極的な理由としては、財源をどうするのかといったことがあげられていた。財源がという主張が正当かどうかについてはともかく、憲法に「無償化」を明記したからといって、財源が生み出されるわけではない。

 財源はどうするのかといえば、維新お決まりの「身を切る改革」。しかし身を切るといっても実際は、自分自身ではなく庶民を斬りつける形になるもの。公務員の定数や給与削減によって財源を生み出すと主張するが、これでは公務員でもある公立学校教員も減らされて、一人一人の児童生徒に目が届きにくくなるなど教育条件が悪化したり、教員の長時間過密労働の問題も悪化させることになりかねない。また行政職や現業職の公務員も給与や人数を減らされると、個人の社会生活だけでなく社会全体の維持にも悪影響が出ることになりかねず、災害時には対応体制が薄くなるなど、社会不安を生み出すことにもつながりかねない。

 また維新の「教育無償化」は、統治機構の改正など現行憲法の理念を骨抜きにする方向の改正をごまかすための目くらましであるという観測もされている。その意味でも危険なものであるといえる。