教育勅語を園児に暗唱させる:大阪の幼稚園

 「共同通信」7月1日付によると、大阪市淀川区の私立塚本幼稚園と、大阪市住之江区の私立南港さくら幼稚園で、年長組の園児約120人に教育勅語を暗唱させていると報じられました。

 この2つの幼稚園は別の学校法人が運営しています。しかし調べてみると、2つの園の創立者(故人)は同一人物です。また2つの園の現在の園長も、創立者とは別の同一人物が兼任しているということです。この2つの幼稚園は、実質的には兄弟園関係にあるといえるでしょう。

 このような取り組みをおこなっている園側は、「幼児期から愛国心、公共心、道徳心をはぐくむためにも教育勅語の精神が必要と確信している」としているということです。

 しかしこのような取り組みは、時代錯誤にもほどがあるとしかいいようがありません。教育勅語の精神は、民主主義社会を生きる人間としての公共心・道徳心とは、決してあいいれないものです。

 まずは、教育勅語の内容そのものについてみていくことにします。

敎育ニ關スル勅語
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國軆ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣ノ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
御名御璽

 「親孝行をしなさい、兄弟・夫婦・友人は仲良くしなさい、しっかりと勉強しなさい(爾臣民父母ニ孝ニ~)」などの文言が書かれていることをもって、「現代に通じる道徳」と安易に結論づける向きもあるようです。

 しかしこの文言は「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」を修飾しているものです。本質は「一旦緩急アレハ~」の箇所にあります。

 すなわち「非常時には国のために一身を捧げて天皇を助けなければならない」ために「親孝行をせよ・仲良くせよ…」と主張しているということです。またこのことをよく実行するものが「忠良な臣民」だとされています。

 また別の角度からみると、このような徳目について、法的に国民を縛るのは適当ではないという論点もあります。

 教育勅語を全体として読むと、結局は「天皇を中心とした国家こそを理想とし、国民は天皇のために尽くす義務がある。また教育勅語で示されている理念は、時代や国を超えて正しく、しかも不変・不滅のものである」という理念を明示していることになります。

 教育勅語の理念は、日本国憲法をはじめとした諸法規や、様々な国際法などの到達点から導き出されるような「民主主義的道徳=自己と他者の尊重・人権思想・国民主権など、民主主義社会を生きるにあたっての基礎的教養や道徳」とはあいいれないものです。

 国会では、「思うに、これらの詔勅の根本的理念が主権在君並びに神話的國体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる。よつて憲法第九十八條の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。(1948年6月19日衆議院決議『敎育勅語等排除に關する決議』)」「われらは、さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は…既に廃止せられその効力を失つている…われらはここに、教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力をいたすぺきことを期する。(1948年6月19日参議院決議『教育勅語等の失効確認に関する決議』)」として、教育勅語の失効を宣言しています。

 道徳や道徳教育一般を否定するのならば、乱暴な議論になってしまいます。問題は、道徳や道徳教育について、「どのような形で」「どのような理念をもって」おこなっていくのか、具体的な中身こそが吟味されなければならないということでしょう。

 それでは、現代社会に求められている道徳とは何か。先述したように、日本国憲法をはじめとした諸法規や、様々な国際法などの到達点を踏まえて、「自己と他者の尊重・人権思想・国民主権など、民主主義社会を守り発展させていくために必要な内容」だといえます。むろん上から徳目を一方的に押しつける性質のものではなく、一人一人が自ら考え行動する力の育成が重要になってきます。

 ついでに申し添えておけば、あたかも「個人の権利を拡大するから公共心が失われた」かのように、「個人の尊重」と「公共心」が対立するかのような描き方をする議論も一定の力を持っているようです。しかしそういう議論は、前提自体が不正確だと考えます。

 民主主義的立場から検討すると、個人の尊重と公共心は矛盾するものではありません。個人を真に尊重することで同時に他者の立場を理解し尊重することもでき、他者を大切にする心が芽生える中で公共心もはぐくまれるといった性質だといえます。

 道徳心をはぐくむといいたければ、民主主義社会の理念を踏まえた議論や教育実践が必要になってきます。

 しかし、教育勅語の暗唱では民主主義的な「愛国心・公共心・道徳心」がはぐくまれません。教育勅語の理念に基づく「愛国心・公共心・道徳心」は、結局は「天皇を中心とした国にする」「権力者に盲従し個人を軽視する」などということにほかなりません。

 こういったものは、民主主義社会とはあいいれず、当然のことながら幼児に暗唱させるなど全くの論外です。