西海評論:体罰はなぜ続く /長崎(毎日新聞)

 長崎県内で次々に明らかになった「体罰」事件を受けて、毎日新聞長崎支局が長崎県内向けの記事で「体罰」についての読者の意見を募集したところ、様々な反応が寄せられたということです。
西海評論:体罰はなぜ続く /長崎〔『毎日新聞』長崎版2006/6/12〕


 「体罰」で子どもがけがをしたという親は、「自分が悪いから、加害教師を責めないで」と子どもからいわれたことや、「子どもの態度が悪かったから仕方がない」と考えているという意見を寄せたということです。
 その一方で別の人からは、教師の「体罰」を問題視しない風潮を危惧する声や、「マスコミが体罰と呼ぶのはおかしい。教師による暴行と言い換えるべきだ」とマスコミ報道のあり方にも疑問を持つ声も寄せられたということです。
 「体罰」には教育的効果は全くありません。むしろ、「自分よりも力や立場の弱いものを力で従わせること」「気に入らないものには一方的に暴力をふるってもよいということ」など、現代社会にとっては不適切で有害な内容を、教師の側が模範として示すことにしかなりません。こんな反社会的ともいえる内容は、決して教師の教育権に属するものではなく、単なる無法行為に過ぎません。
 したがって、「体罰」は早期に廃絶されるべきです。「体罰」を未然に防ぐような学校教育のあり方を確立すること、また万が一「体罰」事件が発生した場合には被害者の立場に立った早期の対応をとることなどが早急に求められています。
 「体罰」を問題視せずにむしろ肯定するような風潮も、まだ根強く残っています。「体罰」に教育的効果があるという「神話」も根強いようですが、それは科学的には全く根拠のない、単なる思いこみにすぎません。「体罰」肯定派の教師や保護者・子どもたちが、根拠のない思いこみにとらわれている状態になっている現状は、早急に改めなければなりません。
 マスコミ報道のあり方についてですが、毎日新聞長崎支局に寄せられたという声・「マスコミが体罰と呼ぶのはおかしい。教師による暴行と言い換えるべきだ」には、私自身も全く同感です。「正当な教育活動」という誤解も与えかねない「体罰」という用語が適切かどうか・暴行と言い換えるべきではないかということを、報道関係者も検討してもらえればと思います。
 ちなみに当サイトでは、「体罰」事件を取り上げる際は可能な限り「教師による暴力・暴行」などと言い換えていますが、日本語の一般的な用法を考慮して「体罰」という言葉も併用しています。「体罰」という言葉を使う際にカギ括弧付きで表記しているのは、「本来なら教師による暴力などと表現すべき」という意味を込めています。
 なお、「体罰」肯定派はしばしば「自分たちの教育にケチをつける不届き者がいて、マスコミはその勢力の片棒を担いで、自分たちの教育を不当に妨害している」とでも言いたげな論理展開をおこない、逆の意味でマスコミ報道に不満を持って攻撃の矛先を向けることがあります。こういう論理展開は、単なる開き直りでしかありません。
 「体罰」を1日も早く廃絶し、「体罰」被害で苦しむ子どもや関係者をなくしていくために何をなすべきか。多面的な角度から考えていかなければならない課題です。