「体罰」容認6割:高校野球指導者 朝日新聞調査

 高校野球の指導者を対象にして朝日新聞社がおこなったアンケートによると、指導者の6割が「体罰」を容認している一方で、日本高野連が昨年出した「暴力はいささかも許されない」という方針を支持する指導者も約6割いるなどの結果が分かりました。
高校野球の指導者、6割が体罰容認 本社アンケート〔『asahi.com』2006/6/5〕


 「体罰」を容認する回答が6割にも上ったということは、まだまだ「体罰」容認の誤った風潮が強いと考えられます。
 高校野球だけに絞っても、「北海道・駒大苫小牧高校野球部長(当時)の暴力事件(2005年8月発覚)」「岡山県・おかやま山陽高校野球部監督(当時)の暴力・全裸ランニング事件(2005年9月発覚)」をはじめとして、暴力・「体罰」事件が多く発生しています。
 駒大苫小牧高校の事件では、被害を訴えた部員やその保護者に対して、あたかも「自分がレギュラーになれなかったことへのねたみから事件を問題化し、甲子園大会優勝のムードを妨害した」かのように事実をゆがめた嫌がらせ・誹謗中傷が続いたと聞いています。また、おかやま山陽高校の事件では、起訴された元監督は、暴力や全裸ランニングについて「教育の一環」などと法廷で開き直りました。
 その一方で、最近も「体罰」をしたというのが1割・高野連の「暴力は許されない」を支持する人が6割などの結果は、「体罰」容認が6割という結果とも整合性がとれず、額面通りに受け取っていいのか悩むところです。
 「生徒を殴ることやしごきなどは正当な指導で、暴力や『体罰』ではない」と考えている指導者もいるのだろうか。そんな可能性も視野に入れなければいけません。
 「体罰」と暴力とは基本的に同義です。ただ、暴力を「体罰」と表現することで、不当な暴力をあたかも「教育的」かのように言いつくろっているだけに過ぎません。
 教育的な意義のあるものが「体罰」であるという主張もあるようですが、子どもを叩く・殴る・蹴るなどする行為に対して、「教育的意義がある」のかどうかを誰が判断するのでしょうか。判断は、加害者の主観だけに過ぎません。子どもを殺そうが大けがをさせようが、「教育だった」と言い逃れするという事例は、「体罰」事件や児童虐待事件が発生した際の加害者の典型的態度です。
 したがって、「体罰」と暴力とを区別することは無意味です。
 また高校野球だけに限らず、「スポーツで強くなるためには暴力が必要だ」「暴力は正当な指導だ」という誤った考え方が、競技の種類を問わずスポーツ指導者に広く見られます。
 「スポーツで強くなるためには暴力が必要だ」という言い分には、科学的な裏付けはありません。むしろそういうことは、科学的にはすでに否定されていることです。「スポーツで強くなるためには暴力が必要だ」なる主張は単に、指導者の暴力を自己正当化するだけの言い訳に過ぎません。暴力で生徒を支配し、また生徒に対してそう洗脳させることで、生徒や保護者を錯覚させるだけの「効果」しかないものです。
 「体罰」・暴力は決して容認するわけにはいきません。高校野球をはじめ、教育やスポーツ指導などあらゆる場から、「体罰」・暴力を一掃していく取り組みが求められます。