教育基本法改悪案の問題点検討:現行法10条を軸に

 教育基本法改悪論議が国会で進められる一方で、各方面からの反対や危惧の声も多く聞こえてきます。
 教育基本法改悪案の問題点は多岐にわたりますが、本稿では現行法10条の角度から問題点を検討したいと思います。


 現行の教育基本法では、10条で以下のように定められています。

教育基本法
第10条 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。
2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

 しかし、政府与党案の改正案では、対応する箇所は以下のようになっています。

政府与党案
第16条 教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。

 民主党の対案にいたっては、対応する箇所は以下のようになっています。

民主党案
第18条
○ 教育行政は、民主的な運営を旨として行われなければならない。
○ 地方公共団体が行う教育行政は、その施策に民意を反映させるものとし、その長が行わなければならない。

 大きな違いとしては、現行法の「不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」のくだりが、政府与党案・民主党案ともに現行法とは大きく異なる表現になっていることがあげられます。
 これは単なる「文章表現技術の違い」というレベルにはとどまりません。改悪案では政府与党案・民主党案ともに、現行法の規定とは全く異なったことを主張していると理解できます。
 現行法では教育は「不当な支配に服することなく」「国民全体に対し直接に責任を負って」おこなわれると規定しています。このことは、教師や学校が、国民全体の立場に立った教育実践を自主的・自律的に、また責任を持って積み重ねていくことを意味します。
 それは裏返せば、政治や行政などからの教育の不当介入・一部の者の私利私欲による不当介入など、国民全体のためにならない外部からの不当な圧力については、教育者として跳ね返すことも、教育の責務の一環となってくるといえるでしょう。
 一方で政府案では、「国民全体に対し直接に責任を負って」の代わりに「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」という文言が入っています。
 「法律の定めるところによってあらゆる行政が執行されるのは、民主主義の原則から見て当然」と思われる人が多いかもしれません。確かに一般論という意味では、この内容は当然のことだといえるでしょう。(一般論では、為政者の気分だけで行政が進んだら大変なことです)
 ただ教育基本法の問題に関しては、一般論の範疇に収まるものとはいえず、もっと踏み込んだ個別の分析・検討が必要だと考えられます。
 教育が国民全体に対して直接に責任を負うことを放棄することで、教育行政による教育介入がやりやすくなる危険性が高まります。実際に、教育行政による教育介入の口実として「法律の規定によって」というのは、おきまりの大義名分です。
 学校現場で「国民・子どものためにならない」と判断したものに対しては、教育基本法の規定を理由に拒否したりよりよいものへの改善を求めたりするという動きは今までにもありました。しかし改悪法が通るとそういうことが違法になり、「子ども・学校の実態から出発した取り組みを現場から練り上げていくのは違法・間違いで、行政の思惑を忠実に遂行するのが『正しい』教育だ」ということにもなりかねないものです。
 政府案でも「不当な支配に服することなく」という文言は残されていますが、文章全体としてみればこの文言が空洞化する危険性は高まります。
 その意味では、教育基本法改悪案で「国民全体に対し直接に責任を負って」という文言が取り去られ、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」という文言が代わりに挿入されるのは、教育の自主性を侵害し、教育にとってはきわめて危険なことだといわざるを得ません。
 民主党案にいたっては、政府案でも残されている「不当な支配に服することなく」という文言すら削られ、きわめて抽象的な表現に置き換えられています。解釈によってはいかようにでもとれるような表現であり、政府案以上に教育介入の危険性を招きかねないものです。
 現行法第10条と改悪案との比較検討を通じても、教育基本法改悪論議については、行政による教育介入をやりやすくするのが目的で、子どもや国民の要求から出発したものではないという印象を強く受けます。
 このような教育基本法改悪案については、政府案・民主党案ともに廃案を強く求めたいと思います。