安倍内閣:教育勅語「教材活用」否定せず、答弁書閣議決定

 政府は3月31日、教育勅語について「憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いることまでは否定されない」とする答弁書を閣議決定した。

 教育勅語の問題については、「当時の人々の思想的背景のひとつとなった。戦後は失効・排除が確認された」という歴史学習の史料として批判的文脈で取り上げるくらいしか使用する余地がないはずである。歴史学習の文脈では、教育勅語の存在そのものに触れない形になると、全体像がつかめずに都合が悪いことにはなる。

 しかし安倍内閣の一連の動きを検討すると、そういう歴史的な文脈とは全く異なる扱いをしたいのではないかと考えられる。

 教育勅語に対して「徳目が記載されている」として一定の評価をおこない、それらの道徳教育の教材として普遍的な形で教育をおこなうことは否定しないと受け取れるような、極右的な視点からの扱いを容認しているのではないかと受け取れる。

2014年に教育勅語「活用」を肯定する答弁

 第二次安倍内閣下の2014年4月8日、参議院文教科学委員会で和田政宗参議院議員(当時・みんなの党)が教育勅語の活用を肯定するような質問をおこなった。これに対して文科省初等中等教育局長や下村博文文部科学大臣(当時)が「教育勅語に書かれている内容は、今日でも普遍的に通じる内容がある。その点に着目して内容を活用するのは差し支えない」とする答弁がおこなわれている。

第186回国会 文教科学委員会(2014年4月8日)

和田政宗君 その副読本の関連で質問しますけれども、私は、教育勅語について、学校、教育現場で活用すればとても良い道徳教育になると思いますが、米国占領下の昭和二十三年に国会で排除決議や失効確認決議がなされています。こうした決議は関係なく、副読本や学校現場で活用できると考えますが、その見解でよろしいでしょうか。できれば大臣にお願いしたい。
○政府参考人(前川喜平君) 各学校において教材を選定する際には、教育基本法、学校教育法、学習指導要領等に照らして適切なものを選定する必要があると考えております。
 教育勅語は、明治二十三年以来、およそ半世紀にわたって我が国の教育の基本理念とされてきたものでございますが、戦後の諸改革の中で教育勅語を我が国の教育の唯一の根本理念とする考え方を改めるとともに、これを神格化するような取扱いをしないこととされ、これに代わって教育基本法が制定されたという経緯がございます。
 このような経緯に照らせば、教育勅語を我が国の教育の唯一の根本理念であるとするような指導を行うことは不適切であるというふうに考えますが、教育勅語の中には今日でも通用するような内容も含まれておりまして、これらの点に着目して学校で活用するということは考えられるというふうに考えております。
○国務大臣(下村博文君) 今局長から答弁あったとおりでございますが、教育勅語そのものを学校で副教材として使用するということについては、歴史的な経緯がありますので、教育勅語そのものというよりは、そういう歴史的な中でいろんな要らぬ議論が出てくることが予想されます。
 ですから、そのものを使うということについては相当理解を求める必要があるというふうに思いますが、ただ、その内容そのもの、教育勅語の中身そのものについては今日でも通用する普遍的なものがあるわけでございまして、この点に着目して学校で教材として使う、教育勅語そのものではなくて、その中の中身ですね、それは差し支えないことであるというふうに思います。

 今回の答弁書も、2014年当時の国会答弁の延長線上にあるものと考えられる。

 こういう扱いは、教育勅語が明治時代から昭和戦前期にかけての教育の根幹をなして一連の戦争につながっていった、その反省から終戦直後に教育現場から排除され、また国会でも排除や失効が確認されたという歴史的経緯をないがしろにする、戦前回帰の扱いと言っていい。

 教育勅語に示されている徳目はいずれも、いざというときには天皇のために犠牲になれ・そのための準備をせよという目的で掲げられているものである。こういう観点からの道徳、徳目刷り込みは、現代社会のあり方とは相容れないものとなっている。

 そもそも道徳は、個人の内面に育成されるものである。道徳は社会的な状況によって多くの人の共通理解となる内容もあるが、個人の道徳も、個人の集合体としての社会における共通理解としての道徳も、社会の発展・変化によって変化・発展しうるものである。特定の徳目を上から押しつけ、しかも時代や社会を越えた普遍的な内容扱いするような教育勅語の道徳観は、前時代的なものとなっている。その意味でも具合が悪い。

 教育勅語を「徳目の内容が良いから」と主張して教材に取り入れることは、本来ありえないことである。学校法人森友学園の問題に関連して、同学園が運営している塚本幼稚園(大阪市淀川区)で、教育勅語を暗唱させているなどの教育がおこなわれているとして問題になった(学園側は2017年の新年度より、経営体制の刷新にあわせて教育方針の抜本的見直しを検討することを表明)。塚本幼稚園で問題になったような教育を推進しているのが安倍内閣であり、教育勅語を肯定するような極右政治家ということになる。

1983年には教育勅語朗読の高校に是正指導

 1983年、島根県のある私立高校で、学校行事の際に教育勅語を校長が朗読し、生徒も一緒に朗読させていたことが明らかになり、国会質問でとりあげられた。朗読は1962年頃から約20年にわたっておこなわれていたという。当時の政府は「私学の自主性として過剰な指示は避けなければいけないが、この件については島根県を通じて改善勧告をした」「こういうのは特殊事例と思われ、他の学校でもこういう例があるのかどうかという調査や一律の通達まではしないが、(学校での教育勅語奉読の禁止や教育勅語の神聖化禁止を通知した)1946年当時の文部省次官通達については、あらゆる機会に指導を徹底したい」とする見解を示した(1983年5月11日参議院決算委員会)。

 安倍内閣の姿勢は、30年前の対応よりも明らかに後退していることになる。1983年当時は改善勧告をおこなったが、今は事実上肯定しているという対応になっているのは疑問に感じる。

 教育勅語の扱いは、歴史学習の史料として批判的に扱うこと以外、学校教育の場では考えられないことではないか。

 教育勅語を肯定的に扱う動きは、安倍内閣の姿勢を考えると、今まで以上に広がっていく危険性もある。特殊な事例や「キワモノ」などと扱って放置するのなら、取り返しの付かない状況になるしれない。危険な動きには警戒が必要である。

 1946年の文部省次官通達、1947年の日本国憲法・教育基本法施行、1948年の教育勅語の排除・失効確認決議など、教育勅語の体制を否定した一連の歴史的流れに立ち返る必要がある。