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高校必修科目未履修問題から1年:『読売』特集記事

 『読売新聞』2007年11月3日付に、『「必修逃れ」発覚1年』という記事が掲載されています。

 高校の必修科目未履修問題が発覚してから1年になります。「必修逃れ」の手口はいくつかありましたが、主なものとしては、「世界史を含めて2科目以上必修となっている地理歴史科で、受験に必要な1科目に絞るとして、1科目しか履修させなかった」というものです。『読売新聞』の該当記事では、世界史の問題に絞って、未履修問題の背景を取材し記事化しています。
 ただでさえ社会科(地理歴史・公民)は「暗記中心」というイメージが先行しています。とりわけ世界史は、日本史や地理と比較して「覚える量が多い」と思われやすいようで、大学受験での受験科目選択の際には敬遠される傾向があるようです。そのことが「受験対策」という名目で誤った「配慮」をおこなって、必修逃れにつながったという指摘も多くされています。
 しかし記事では、別の角度からの指摘もおこなっています。

だが一方で、「世界史を教えようとしても生徒が理解できない」と、はなから授業をやめてしまった学校もあったと聞く。

 気になる指摘です。これが事実ならば、「受験対策のために必修逃れをおこなった」という多くの学校とは別の意味で、疑問が持たれます。
 記事はこのように続きます。

 「国際社会を生きるには大事だ」と言われ続け、次の学習指導要領でも必修となる見通しの世界史。だが、生徒にはその面白さがなかなか伝わらない。ほかの国の歴史に思いを巡らせることができないことは、他国に対する偏見につながりかねない。

 記事での指摘は当然だと感じます。
 続いて記事では、現場の高校教師に取材した内容を紹介しています。「教師の努力が足りない」という指摘もある一方で、「どんなに授業内容を工夫しても、学習指導要領で規定された内容と比べて、授業時間が絶対的に足りない」という指摘もされています。
 記事ではこのようにまとめています。

 教師のため息の向こうには暗記型の大学入試がある。例えば教科書を持参させ、その場で調べさせながら、歴史の流れや考え方を問うような試験はできないものか。大学入試を変えることで、高校の授業も変えられるのではないだろうか。

 教えるべき内容が授業時間が比較して絶対的に足りない上、暗記型の大学入試もあるとなれば、「暗記科目と見なされて敬遠される」という傾向は構造的に生み出されたものではないかといえます。
 「暗記科目」扱いから脱して、歴史のおもしろさや重要性が伝わるような条件を少しでも作っていくことは、大学入試のあり方や学習指導要領のあり方まで問われてくる、きわめて大きなものです。大学受験や高校での世界史教育に関して、現在の枠組みを打開して抜本的に改革することは可能なのか、また可能ならばその方向性は――これらの内容はすぐに答えが出る性質のものではありませんが、問われ続けなければならないものだといえます。