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第三者委員会のあり方指摘:「全国学校事故・事件を語る会」シンポ

 「全国学校事故・事件を語る会」のシンポジウムが6月2日、神戸市で開かれたということである。

 同会は、「体罰」自殺・部活動中の死亡事故・「指導死」・いじめ自殺など、学校関係の事故で子どもを亡くした遺族が結成している団体である。
 報道によると、学校事故があった場合の第三者委員会のあり方が中心的な議題となり、遺族が報告をおこなったということである。
 第三者委員会については、「問題を幕引きするため、学校や教育委員会に代わる新たな沈静化の手段として三者委が使われる。本物か、沈静化の手段かを見極めないと」「学校や教育委員会が選んだ委員によって、学校側に都合のよい報告書が作成されている。学校、教育委員会から独立していることが最低条件だ」(遺族)と指摘され、「第三者委は亡くなった子どもや遺族の人権を擁護するべきで、公正である必要はあるが中立である必要はない」(弁護士)などの意見があがった。
 確かに、近年の新聞報道だけを見ても、学校事故で第三者委員会が設置されることになっても、委員氏名が公表されなかったり、学校側に有利な結論ありきだったりと、設置すること自体がアリバイ作りかのようになってしまっていると疑問を持つような事例も多々ある。当事者の立場になればこれほどつらいものはないだろう。
 学校や教育委員会は「人権」を口実に加害者や学校の責任を曖昧にしようとする傾向もある。もちろん加害者にも人権があるというのは、「不法な迫害を受けてはいけない」という一般的な意味ではその通りであろう。
 しかし最近は人権概念がゆがめられて解釈されているのか、学校関係の事件だけに限らず社会全体でも、「自分たちには被害者を踏みにじる権利がある。被害者が声をあげて被害回復を求めたり、加害者側にとって少しでも気に入らないことや都合が悪いことを指摘されたりすると、今までしてきたことを棚に上げ、被害者を名乗る者から一方的に絡まれて何の非もないのに理不尽な迫害を受けた・自分たちへの人権侵害と居直る」という「加害者の論理」が公然と横行し、人権がねじ曲げられて悪用される例が目立っている。極端な場合には、福岡市の児童いじめ教師の事件で加害者側が被害者側を中傷する書籍を出版した事例、長野県のいじめ自殺事件で加害者側が「精神的苦痛を受けた」として被害者遺族を提訴した事例、兵庫県のいじめ事件で学校側が被害者側の保護者を「名誉毀損」と刑事告訴した事例のように、加害者側が不法行為すれすれの手段で公然と被害者側を恫喝する事例もあった。
 人権をいうのなら、「加害者が他者への人権侵害をおこなう権利」なる、元々存在しえないし決して存在できないものを作り出して擁護するのではなく、被害者の人権を回復したり擁護することにこそ重点が置かれるべきである。
 被害者・遺族の人権を擁護することは、事件・事故についても公正な調査をおこなって教訓化し、同じような事件・事故を未然に防いで新たな被害者を生まないということにもつながっていく。
 第三者委員会は、遺族側の立場に立って実効性ある運営がされていく必要がある。