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「体罰」否定でも歴史的なアニメにケチをつけるのは…

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Jキャストニュースに『えっ、ドラえもんが「体罰アニメ」? びっくり指摘にファン「ひどすぎる!」』という記事が掲載されている。

 記事によると、「国際線の機内で『ドラえもん』のアニメを見た」という男性の話として、「ジャイアンとスネ夫がいたずらをしたとして担任の先生からげんこつを受けるシーンがあった」シーンが「体罰」を想起したとして、「アニメの内容にいちいち目くじらを立てることを『世知辛い』と認めつつも、『国際線で見せなくてもいいのでは』とも思った」と感想を出した。それが反響を呼んでいるという。
 確かにげんこつや廊下に立たせることなどは、定義としては「体罰」に該当するし、実際にしている者がいるとすれば決して肯定できない。
 しかし「体罰」問題と、作品としての評価は別だろう。作品全体の内容を考えずに特定の「目をつけた」シーンだけを抜き出して「作品が『体罰』を肯定している」とする結論ありきで扱ったり、制作当時の時代背景を考慮せずに今の基準で「不適切」認定するのならば、それは短絡的で誤りである。
 『ドラえもん』は最初に雑誌に掲載されたのが1969年12月(小学館の学年誌『小学一年生』などの1970年1月号)、現在のテレビ朝日系のテレビアニメ放送は1979年開始。40年以上前から続く作品だと、時代の流れで「当時は特に疑問に思われなかったことでも、今の時点では不適切ではないか」というような描写もあるだろう。
 今の時点で見れば「不適切な表現」と取れるようなものでも、当時の世間の一般的な考えなどが浮かび上がるような歴史史料にもなりうるものであり、「言葉狩り」や作品の存在そのものを全否定するような形でやり玉に挙げるべきではない。
 アニメの描写に限らず、かつての常識が今は誤りや不適切になったという事例はよくある。そのことへの批判は、当時の事実をふまえながら、現在と未来の生活の中で実践を積み重ねることによって発展させるべきものである。過去の事実や記録・表現などを人目に触れさせないようにしようとする対応は正しくない。
 教育を論じる立場からも、また作品としての文化の側面から論じるにしても、揚げ足取りのような批判はすべきではない。