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「体罰」は子どもの成長の芽を摘む

 大阪市立桜宮高校「体罰」自殺事件を受け、「体罰」に頼らないスポーツ指導を提唱している元プロ野球選手・桑田真澄氏に各マスコミがインタビューをおこなっている。

 先のエントリで取り上げたNHKのほか、朝日新聞と産経新聞もそれぞれ、インタビューを記事にしている。
 桑田氏は、少年時代の野球チームで指導者から受けた「体罰」については否定的な思いしか残らなかったとしている。

 私は中学まで毎日のように練習で殴られていました。小学3年で6年のチームに入り、中学では1年でエースだったので、上級生のやっかみもあったと思います。殴られるのが嫌で仕方なかったし、グラウンドに行きたくありませんでした。今でも思い出したくない記憶です。
(朝日新聞web2013/1/11『「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」桑田真澄さん経験踏まえ』)

 小学生の時、グラウンドで監督やコーチから殴られない日は無かった。愛情を感じたことは一度もない。体罰が嫌でグラウンドに行きたくなかった。体罰で力のある選手が野球嫌いになり、やめるのを見てきた。
(産経新聞web2013/1/11『「小学生の時、体罰に愛情を感じたことはない」「時代に合った指導法を」…元巨人・桑田真澄さんの「体罰考」』

 その上で、スポーツ指導者の「体罰」について以下のように分析し、明確に反対の意思を表明している。

 私は、体罰は必要ないと考えています。「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で起きるのが体罰です。監督が采配ミスをして選手に殴られますか? スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。殴られるのが嫌で、あるいは指導者や先輩が嫌いになり、野球を辞めた仲間を何人も見ました。スポーツ界にとって大きな損失です。
(朝日新聞web2013/1/11『「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」桑田真澄さん経験踏まえ』)

 体罰が減らないのは勝利至上主義があるためだ。プロ野球はそれでもよいが、アマチュアは育成主義でなくてはならない。指導者は、自分が体罰を経験して嫌な思いがあっても、勝利至上主義のために体罰を繰り返してしまう。疲れている放課後や休日に「指導してあげている」との思いが、暴力的な行為につながっているのかもしれない。
(産経新聞web2013/1/11『「小学生の時、体罰に愛情を感じたことはない」「時代に合った指導法を」…元巨人・桑田真澄さんの「体罰考」』

 桑田氏の指摘は、スポーツ指導者はもちろん、もっと広い意味で他の分野も含めて子どもに関わるすべての関係者――学校の教職員、保育関係者、学習塾・習い事などの民間教室関係者、そして子育て中の保護者など――が、自分のこととしてしっかり考えていかなければならない課題である。
 「暴力で脅して子どもを思い通りに動かそうとするのは、最も安易な方法」(朝日新聞web2013/1/11『「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」桑田真澄さん経験踏まえ』桑田氏の発言)であり、スポーツ指導とも子どもの教育とも対極的な行為である。こういう行為は今すぐにでもなくしていかなければならない。