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遺族が新聞取材に心境訴え:群馬県立高校自殺事件

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 群馬県桐生市立新里東小学校児童自殺事件に関連して、群馬県内で2007年に自殺し「いじめが原因」と指摘された高校生の事案について『東京新聞』が生徒の父親に取材をおこない、遺族の心境を記事にしています。

 『東京新聞』(群馬版)2010年11月26日付『いじめと向き合って 息子亡くした父親、教育現場の対応に注文』がその記事です。

 記事では群馬県立高校いじめ自殺事件の経緯について触れ、取材に対して父親が心境を答えています。

 群馬県西部の群馬県立高校に通っていた当時2年の男子生徒が2007年12月1日、修学旅行から帰宅した直後、自宅近くの川に飛び込み自殺しました。

 遺書はありませんでしたが、生徒が生前学校に提出していた作文にはいじめ被害を訴えるような記述がありました。また修学旅行中に「悪口を言われた」などと泣きながら担任教諭に相談している様子も明らかになっているということです。

 家族は学校や群馬県教育委員会に調査を要請しましたが、いずれもいじめの事実は確認できなかったとされてしまいました。また群馬法務局へ人権侵犯事案として申し立てましたが、人権侵犯の事案は不明確と判断されてしまいました。

 父親は、子どもを失った悲しみや、死を決めた心情がわかってやれなかった自責の念にさいなまれているといます。

 父親は教育現場の対応について「死んだ子どもが我慢すればいいというような状況」「いじめた子どもからも自分のしたことを受け止める機会を奪い、いじめを増やし続けるだけではないか」と批判しています。

 いじめ問題をはじめ学校関係の事件事故では、被害者やその関係者が我慢すればよいかのような対応が取られることも珍しくありません。そんな対応のもと、学校側の意を受けた心ない保護者や地域住民が被害者を「学校を混乱に陥れた元凶」と描いて攻撃したり、加害者が逆に「自分こそが変なことに巻き込まれた被害者」かのように装い悲劇の主人公を演じるという事例も珍しくありません。

 いじめ自殺事件や、死亡にまでは至らなくてもマスコミ報道されたようないじめ事件では、加害者が反省せずに被害者やその関係者に心ない発言を平然と浴びせたり、新たないじめ行為をおこなっていた事例もいくつか知られています。

 いじめで自殺した生徒の葬式の際に加害者が笑っていたり「面倒くさい。早く終われ」などの発言が聞かれた、別の生徒に「お前も○○(自殺した生徒)のようになりたいのか」などと言いながら新たないじめをおこなった、そういう話も実際にいくつもありました。

 報道された範囲のものだけでもこの調子ですから、報道されていないいじめ事件でもこのようなことが多かれ少なかれ発生していることは容易に推測できます。

 学校や教育委員会は被害者の立場に立った対応をすること、また加害者に対して自分の行為に向き合わせることは、被害者救済という意味では当然のことです。同時に、事件の教訓をしっかりと積み重ねて継承化することで同種事件の再発防止や、万が一発生した場合には適切な対応を取ることができるようなことにつながっていきます。

 しかし、こんな当然のことすらせずに小手先の対応だけをおこなって被害者やその関係者を傷つけ、また事件を教訓化せずに同じようなことが発生すれば再び同じような対応をする、これが学校・教育委員会の現状です。いい加減このようなことは断ち切っていかなければなりません。