不祥事への被害者視点を欠落させた研修テキスト:大分県教委

 大分県教育委員会はこのほど、不祥事への対策として服務研修テキストを作成したということです。

 テキストは大分県教育委員会のウェブサイトでも閲覧できます。
 テキストの中身は、「懲戒処分を受けた本人が悪影響を受ける」という点ばかりを重視し、被害者の受けた被害についてはほとんど触れられていません。

大分県教育委員会の資料より
(例:わいせつ行為による逮捕事案の場合)
【学校への影響】
・教育委員会及び勤務校に新聞・テレビ等報道各社からの取材が殺到し、翌日にかけて大々的に実名報道(学校名含む)された。
・報道後、各地から抗議・苦情電話が殺到し、対応に苦慮した。
・報道後も取材等が収まらず、児童生徒が落ち着いた学校生活を送れない状況になった。
・緊急の保護者会等をもって謝罪・説明をするが、「子どもにどのように説明すればいいのか」「早く平常の学校に戻して欲しい」などの厳しい意見が出された。
・「そのような教員のいる学校には子どもは預けられない」と、学校への登校拒否や転校を希望する家庭が出てきた。
【社会への影響】
・県民から加害教諭に対してだけでなく、教職員全体への不信から「うちの担任も似たようなもんじゃないか」「自分の学生時代の担任も同じような事をしていた噂があった」「もっと厳正なる対応を!」など、投書や苦情電話が教育委員会等に殺到した。
・インターネット上で実名を伴う誹謗中傷が相次いだ。
【被害者とその家族への影響】
・実名報道こそされなかったものの、心ない噂が広がり、通常の生活に影響があった。
【加害教諭とその家族への影響】
・実名報道により、世間からの見方が変わり、いたたまれず転居した。
・加害教諭の高校生になる実子は、学校内での中傷に耐えながら通学している。
・親族からは縁を切られた。

 加害者側や学校への「影響」については「報道や誹謗中傷などで被害を受けた」かのように長々と書いている一方で、被害者については「心ない噂が広がり、通常の生活に影響があった」の一言だけ。テキスト全体がこんな調子で、被害者への被害という視点はほとんどありません。
 加害者側がどんな影響を受けようとも、しょせんは自業自得です。被害者の受けた被害と比較すれば大したことではありません。
 わいせつ事件をはじめ、「体罰」・暴力事件やいじめ事件など学校関係の事件事故では、被害者やその家族が事件のショックやその後の心ない誹謗中傷などで長期の後遺症を伴うような病気を発症したり、中傷によって転居に追い込まれるなどの深刻な事例も、多く発生しています。

 他県の例ですが、千葉県浦安市立小学校養護学級担任教諭が2003年、担任クラスの児童に暴力やわいせつ行為を常習的に繰り返したことが発覚し、裁判でも暴行・わいせつの事実が断罪されて損害賠償を命じる判決が2010年3月に確定した、いわゆる「浦安事件」。
 この事件の被害者はPTSDを発症し、「悪化することはあっても完治は難しい」と診断されました。インターネット上も含めた被害者家族への心ない中傷も相次ぎ、被害者家族は転居を余儀なくされました。また事件で極度の男性恐怖症になった被害者は実の父親すら怖がるようになって一緒に住めなくなり、両親は離婚に追い込まれました。被害者のきょうだいは事件が原因で不登校に追い込まれました。
 一方で加害者側は何の社会的制裁も受けていないどころか、あたかも「加害者の教師がマスコミの事件報道やインターネット上で中傷された」ことが事件の本質かのように振る舞い、新たな中傷まで繰り返しています。実際には、むしろ報道はなぜか加害者側に甘く、逆に被害者側を中傷するような新聞記事すらありました。またインターネット上では逆に、加害者本人や近い人物のしわざと思われる、被害者や事件報道・事件を取り上げたサイトなどへの誹謗中傷ばかりが目立ちます。

 被害者の苦しみを一言で片づける一方で、どうでもいいことをあたかも本質かのようにごちゃごちゃと言い立て、加害者や学校こそが被害者かのように描くことは、事件の隠蔽や加害者の居直り、被害者やその関係者・事件報道などへの逆恨みなどしか生まないのではないかといえます。
 被害者の受けた被害を直視しない限り、いくら「対策」と称するものをしたところで効果は薄く、むしろ逆効果にもなりかねないものです。マニュアルや対策を作るにしても、被害者の受けた被害を直視するようなものへと抜本的に変更しなければ意味はありません。