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修学旅行での水難事故、遺族が訴訟:横浜市

 横浜市立鶴見工業高校で2006年5月、修学旅行先の沖縄県・波照間島で波にさらわれ、2人が死傷・1人が行方不明(のち死亡認定)された水難事故で、死亡した生徒2人の遺族が5月1日付で、「事故当時、引率教諭が注意義務を怠った」として横浜に損害賠償などを求める訴えを起こしていたことがわかりました。

 事故の概要は以下の通りだということです。なお、この修学旅行は学科ごとにおこなわれ、事故当時は土木科1クラスと引率教諭2人(3年生クラス担任・学科主任)と添乗員での旅行がおこなわれていました。

横浜市立鶴見工業高等学校修学旅行水難事故調査報告書(2006年11月26日、pdf
 A・B・D(※被害生徒)が沖に向かって横に並んで歩いていった。その時、海は濁っており足もとが見えなかったので、足で探りながら前に進んだ。ある地点で足がつかなくなったので、身体の向きを反転させて3人で戻ろうとしたが、沖への流れが強く戻れなかった。戻ろうともがいているうちに3人とも沖側に倒された。2人はパニックに陥り溺れてしまい、1人は陸に向かって泳ぎ、足が岩のようなものに引っかかりそれにしがみついて助けを呼んだ。浜辺にいた同じ班の生徒3人や水に入っていた他の班の生徒には気付いてもらえなかったが、港の防波堤付近にいた地元住民が叫び声にすぐに気がつき、機敏な行動により救助活動が開始された。

(中略)

 あずま屋下にいた生徒やS教諭(※引率の担任教諭・原文では実名。引用にあたって匿名に変更)は事故に気付かず、浜辺にいた生徒がバイクで来た地元住民に「1人が救助され、2人が行方不明になっている。このことを先生に伝えてくれ」といわれて初めて事故を知り、S教諭に伝えた。

高波にのまれ高3死亡 横浜から波照間島へ修学旅行
(琉球新報 2006年5月18日)※被害者氏名は当方判断で匿名に変更しました。

 (2006年5月)17日午後1時20分ごろ、竹富町の波照間島の北西部にあるニシ浜ビーチで、修学旅行で島を訪れていた横浜市立鶴見工業高校3年の男子生徒3人が波にさらわれた。八重山署によると、土木科のAさん(17)が心肺停止状態で発見され、死亡が確認された。同科のBさん(17)が行方不明。1人は漁船に救助された。

 沖縄気象台によると、台風1号の影響で波浪注意報が16日から出されていた。事故当時の現場海域は晴天だったが、風速は最大10メートル、波の高さは約3メートルでうねりがあり、荒れていた。

 一行は同校土木科3年の生徒32人、教諭2人、添乗員1人の計35人で、17日午前、波照間島に到着し、島内観光後、午後1時ごろからニシ浜ビーチで水遊びをしていた。

 生徒らはひざから腰ぐらいの深さの場所で遊んでいたが、関係者によるとA君ら3人は一行から離れ、岸から約100メートルのリーフ付近まで進んだところ高波にさらわれたという。

 1人の生徒はリーフから50メートルほど外側で救助。A君は午後2時40分ごろ、リーフ沿いに心肺停止の状態で浮いているのを発見され、心臓マッサージなどの救命措置を受けたが、午後5時、死亡が確認された。

 学校側によると前日から気象情報を収集し、生徒に「明日は波が高いから注意しなさい」と呼び掛けていた。当時は約10人が水遊びをしていたが、引率教諭は3人の動きを把握できておらず、おぼれた瞬間も見ていなかったという。(以下略)

 この事故では引率教諭2人が書類送検されましたが、不起訴処分となっています。しかし不起訴処分はあくまでも「教諭個人への刑事責任を問うのは困難」と判断されたということに過ぎず、事故の事実や学校としての指導体制の問題点を否定できるようなものではありません。もっとも、この手の事故では教諭個人に責任を帰するのではなく、学校としての指導体制全体が問われるべきものだと考えられます。

 横浜市教育委員会では事故調査委員会を設置し、調査と再発防止策をまとめてきました。
原告側代理人は「民事裁判の形ではあるが、遺族は賠償金が目的ではなく、責任の所在を明らかにしたいようだ」と話した。」(神奈川新聞2009/5/7)と報じられています。学校関係の訴訟では「賠償金目当て」などというデマや中傷が流されることも多くありますが、実際には賠償金で「儲かる」などほとんどありませんし、「それしか方法がない」というところまで追いつめられてやむなく起こすというケースばかりです。

 裁判の形になるとはいえども、事故の事実関係を徹底的に解明していくことが求められています。