福岡女子大学願書受理拒否訴訟:雑誌に中傷記事が出る

 ある月刊誌の最新号(2016年9月号)に、「女子大入学を希望した男性の訴訟」の顛末を追うとする内容のリポートが掲載されている。筆者は、学校のいじめ事件で加害者側に立ち、被害者の被害訴えを「モンスター」呼ばわりした書籍を立て続けに出した人物である。この問題でも想像通り、原告に侮蔑的な目線を浴びせかけている。

 まず、当該の事件についての概要を、当時の報道より振り返ることにする。

 この男性は栄養士の資格取得を希望した。経済的に苦しいこともあり、遠方や私学は無理と判断し、自宅から通える範囲で学費の安い国公立という条件に合う栄養士資格取得可能な学校を探した。しかしその条件を満たす大学が福岡女子大しかないことがわかった。男性は願書を提出したが受理拒否された。男性というだけで資格取得の道を閉ざされたり、学問の門戸を閉ざされるのは性差別でおかしいという主張である。2015年1月に提訴したものの、原告男性は「主張とは関係ないことについての立証を執拗に求められた」などとして、2015年9月までに訴訟断念に追い込まれる形で終結している。

公立女子大願書不受理は違憲と男性が提訴
福岡市の公立福岡女子大学に入学願書を提出したが男性であることを理由に受理拒否されたことは男性差別にあたり違憲として、福岡県在住の20代男性と...
福岡女子大学願書受理拒否訴訟:原告が訴え取り下げ
 栄養士志望の男性が、「自宅から通学できる栄養士資格が取得できる国公立大学はここだけなのに、また経済的事情から遠隔地や私立には通えないのに、...

 一般的に、男性が多い分野で女性の門戸が狭いのは女性差別だとはよく言われることだが、それならば逆のケースにもあたるこの案件でも性差別と言われるべきではないか。また広くみれば、国公立大学のあり方、大学志願者が経済的事情で進路が狭まらざるをえないことを避けるための措置の充実など、訴訟の経過にかかわりなく、教育全体の観点として検討すべき論点は多数あるだろう。

 一方でこの訴訟に関連して、訴訟内容が報道された直後から、「男のくせに女子大に入ろうとした変質者」「騒ぎを起こしたいだけの輩」かのように攻撃するような、心ない誹謗中傷がかなり広範囲にわたっておこなわれた。

 この事件に関するリポートだが、描き方がひどい。

 当該雑誌の当該号では「人権を過剰に主張する風潮はおかしい」と言わんばかりの特集を組んで複数のリポートを掲載しているが、このリポートもその特集の一つとして掲載されている。こんな特集の一つとして掲載されるという扱い自体、バイアスがかかっているものだといえる。

 原告が訴訟断念に追い込まれた理由の「主張とは関係ないことの立証を求められた」については、その中身についての詳細は報道などでは詳しく言及されなかった。このライターは、原告がいう「主張とは関係ないことの立証を執拗に求められた」の中身について、「裁判費用が出せないから弁護士会に費用補助申請を出したことについて、裁判費用もない人間が大学の学費を出せるのかと矛盾を裁判所から指摘された」としている。その上で「その件について裁判所から説明を求められると、回答不能になって逃げた」かのように描いている。このリポートでも「裁判費用もない人間が大学の学費を出せるのか」という立場で非難し、また原告の主張は「男性が受験できる学校がない」ということなのに「女子大はあって当然」という一面的な話にすり替えている。最後には「ご苦労なことだ」などと吐き捨てて、原告男性を見下すような調子で文章を締めている。

 このリポートがあげつらうような「裁判費用」うんぬんは、たとえこのライターがいうような事実経過があったとしても、難癖をつけられる筋合いはないものである。男性であるだけで、また自宅から通える範囲の国公立大学に入学できる大学がないということだけで、栄養士資格取得の門戸を閉ざされるという本質的な問題に対して、裁判費用という「主張とは関係ないこと」を持ちだしたことには変わりがない。経済的弱者は大学に行くなとでもいうつもりなのか。また、裁判所がそういう前提で審理を進めようとすることが難癖なのに、裁判所の審理は批判せず、原告男性に矛先を向けているのも異常である。

 論点をずらして本題の本質とは何の関係もないことを持ち出す。通常は欠点ですらないどころか問題ともなりえないような、事件とは無関係の些細なことを執拗にあげつらい、もしくは被害者に関する虚偽の内容をでっちあげて、まるで極悪人かのように言いがかりをつける。そして「被害者とされる者は異常者で、人間的にも重大な問題を抱えている」「被害者の異常な態度に、人権派といわれる勢力が加勢している」かのように印象づけて騒ぐ。そして問題の発端となった不適切行為は棚に上げ、「不適切行為」の「抗議」の標的にされた人たちこそが真の被害者だと描く。このリポートの筆者は、過去にも福岡県の「教師による児童いじめ」事件長野県の高校でのいじめ自殺事件でも、同じような手口で事件加害者の行為を擁護し被害者を攻撃する書籍を出版した。そういう手口再びである。

 このリポートの筆者は「理不尽なことに声を上げる人間が気に入らないから、徹底的に攻撃する」という信念でもあるのだろうか。またリポート筆者が敵視しているような「人権派」――「自分たちの人権だけは過剰に主張するが、自分たちにとって気に入らない相手は徹底的に攻撃して人権侵害をおこなっても意に介さない」の意味――の態度は、実際は筆者やその同調者のしてきたことの投影ではないのか。

 雑誌の文章での主張は、正直いって低次元のものである。しかし、長野県のいじめ自殺事件では、最初に雑誌に発表された当時に当方も一読して「バカバカしい」と感じ、世間もスルー気味で「単発で終わったもの」だと扱われるだろうと思っていたら、のちに単行本化されて大々的に宣伝され内容を鵜呑みにしての書評が次々と発表されたことで、書籍の一方的な内容を盲信するものが次々と現れて攻撃を繰り返す最悪の状況を招いてしまっている。今回の件についても、放置されればいいのだが、長野県の事件と同じように後で大々的な攻撃がおこなわれる危険性もあり、要注意である。

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